何にもしたくない時、たまに 暇つぶしに、興味関心の赴くままのキーワードを入れて検索する。私のネット遊び。
先日、ふと思いついて 久し振りに 亡き父(2012年没)の名前をググってみた。Wikipediaに載る程の人物ではなかったので、何もないだろうと思いつつポチッとね。
そしたら、ありました👀
8年前、地元の小学校の企画で、戦争体験者に原稿をお願いして まとめた記録集が、まるごと載っていました。
そこに父の名前が。(記録集編纂当時 父は満90歳)
すぐ読みました。
昔、一度だけ 「お父さんは戦争中 どこで何をしてたの?」と聞いたことがある。その時 ちゃんと応えてもらえず、はぐらかされた記憶しか残っていない。何か暗黒の過去があるのかな? と思ったことも。
ずっと疑問だった その答えが、死後7年も経って ひょっこり出てくるなんて…それも私がポチッとしたからこその結果として。
アンケートに答える形式なので、そんなに詳細ではない。それでも、今まで全く知らなかったことが少しわかりました。
九州で軍務に就いていて、そこで多くの特攻隊員を見送った。終戦直後に上官が自決した。勝てぬ戦争だと思っていた。終戦当時、父は24歳だった 等々…
父のすぐ上の伯父はシベリア抑留経験者だ。(帰国はできたものの若くして亡くなった)
義父は戦艦大和に乗っていた(沖縄戦の前に下船した)。
周囲には戦死された方、九死に一生を得る壮絶な経験をされた方も多くいる中で、ずっと内地にいた自分のことを語りたくなかったのかな? 語るに足らず、と思っていたのだろうか?
生前 よく政治批判、権力批判をしてた父だから、あの戦争に踊らされた(それは仕方ないことだったが)過去を思い出したくなかったのかも知れない。
この戦争体験記録が完成した1年後には父はもうこの世にいなかった。ギリギリの記録ですね。企画してくださったこと、それとネット上で一冊丸ごと閲覧できるようにしてくださっていることにも、感謝します。
ネットのおかげで、久し振りに父に再会できました。不思議な気持ちです。
この写真、
父の死後、生涯の短歌をまとめている時に、パソコン作業に疲れ 気分転換にネットサーフィンをし始め、思いがけず従兄のブログに漂着した。
コメント入れたりして、しばらくメールのやり取りしました。その時 送ってもらった写真です。彼が帰省中に たまたま父が来訪し、帰る姿を撮ったのだと。
自転車で…いつもの姿でした。エンディングロールに相応しい秀逸写真、歌集の最後に載せさせてもらいました。
この時も、ネットのおかげで 得ることができた情報でした。
写真を入れた 押し花額絵…
桜は、忌明け法要の時に、料亭でいただいた固い蕾の枝を持ち帰り、咲かせたもの。3色(茶、モスグリーン、白)の綿は その年 私が育てたもの。
クリスマスローズは喪中の寂しい庭に咲いていたもの。